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小鼓 その2 能、愛してる。

セロリ、昼寝、歴史。落語の三題噺ではない。私が子どもの頃苦手だったもの。そして大人になってから好きになったものだ。 中でも歴史は大の苦手で、何がおもしろいのかまったくわからず、受験や定期テストのときの最大の鬼門だった。 大人になり、伝統芸能に触れるようになって、受験勉強の燃えかすのように残っていた、何の意味も持たなかった歴史の断片が少しずつ繋がり、意味を帯び、輪郭を持ちはじめてやっと、歴史がおもしろくなってきた。 それでも伝統芸能で触れる歴史は、日本史のごく一部。過去は過去のまま、現代の自分とのつながりにまでは至っていなかった。

源次郎先生はおけいこの中でいろんなお話をしてくださる。あるとき、能楽というものがたどってきた道について聞く機会があった。 能は室町時代、観阿弥・世阿弥親子によって大成された。(はい、学生諸君、ここテストに出ますよー) 特に世阿弥は足利義満将軍の庇護のもと才能を開花させ、夢幻能を完成させる。義満亡き後、いろいろあって世阿弥は佐渡に流されてしまい、時代は戦国時代へ突入。能は一時、危機的状況に陥るも、戦国の世を統一した信長、秀吉もまた、能を愛した。特に秀吉はお茶に狂ったことは有名だが、晩年、能にも狂う。ハマリ体質なのか、それはそれはもうどっぷりと。(これはテストに出ないかも…)そんな秀吉の影響で、多くの武将も能をやる。安土桃山時代は、武将たちにとって武器から文化へ変遷していった時代だった。 そして江戸時代、家康も能を重視し、幕府の式楽となった。一昔前のサラリーマンの接待ゴルフみたいなものだろうか。能は社交上必要なものになり、諸大名はこぞって稽古にいそしんだ。参勤交代で地方に行った先でも能をやり、次第に能は全国に広がっていく。同時に庶民の間には謡が大流行し、元禄期に印刷技術が発達すると謡本が出版され、これによって文盲率も下がったという。 迎えた明治維新。津軽と薩摩の人間が一堂に会しても方言では言葉が通じない。ところがそこに一つの共通言語があった。謡だ。 「某(それがし)は薩摩の○○にて候」 こう話せば通じたのだ。かくして明治期の公文書はすべて候文で書かれるようになった由。めでたしめでたし……。

源次郎先生のお話のテーマは多岐にわたり、話題が尽きません

源次郎先生のお話のテーマは多岐にわたり、話題が尽きません


能を軸に中世から明治まで一気に歴史がつながった。およそ650年も昔から人間を通して継承されてきた能楽。それを、平成の世に生きる私たちもやっている。日本の歴史という大河の、小さな小さな支流の末端で自分もつながっていると感じた瞬間、かつてあれほど無味乾燥だった歴史が、みずみずしく血の通ったものになった。 おけいこの帰り、電車に揺られながら遠い遠い歴史に思いをはせる。能に魅せられ、能を受け継いできてくれた歴史のエライ人たち、ありがとう。出世も、接待ゴルフとも無関係なお気楽な立場ではあるが、あなた様方同様、現代に生きる名もなき私も、能を愛してる。


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