Text by ここんK
10代の頃、ピアノを習っていたときの疑問:
あれだけ多くの鍵盤があって多くの音程を奏でられるけど、でも、例えば隣り合わせのドとレの間にも、もっといろんな音程があるんじゃないの? ドよりちょっと高いけど、レには届かない音。ドの半音上が0.5だとしたら、0.8とか0.35の音とか。
ピアノを中心とした、いわゆる西洋音楽では、数多の音程は意図的に捨てられている。私たちは、選択された音程(つまりドレミファソラシドとそれらの半音)だけで作られた音楽がすべてだと思ってしまっている。それっておかしくない?
昔のこんな疑問を思い出す機会が、20年後の三味線のお稽古にあった。
三味線では、指で弦を押さえる場所を〈勘所(かんどころ)〉という。一の糸の③とか、三の糸の⑥という具合に、勘所を数字で示す(糸とは弦のこと)。三の糸の③といったら、押さえる場所は一つ、とふつう思う。でも違うらしい。
栄八郎先生曰く、同じ弦の③という勘所でも、ジャンルや流派の好みによって、押さえる場所を微妙に変えているらしい。明るい感じを好む長唄は、③のちょっと高い方を押さえる。一方、清元や義太夫といった少し古い邦楽は、③のちょっと低い方を押さえ、しっとり・色っぽい感じを出すらしい。楽譜上では同じ③なのに。
栄八郎先生が弾き比べをしてくれた。さぁ、あなたはこの音を聞き分けられるか!?
≪ 勘所の使い分け ≫
どうですか?
音源の中で先生が、「やっぱり邦楽っぽいでしょ」と言っていたのが、③のちょっと低い方。まさに、勘でつかむしかない。だから〈勘所〉なんだろう。
私は、この③のちょっと上とか、ちょっと下を、もっと知りたい。 勘所の②と③の間のたくさんの音、2.2とか2.85とかを、もっと知りたいと思う。
私たちの生活の中から邦楽が消えるということは、ド と レ の隙間で生きる豊かな音の世界を失うということかもしれない。 だとしたら寂しくないか? 2.95ぐらいの「なんとなく色っぽい」音は、やっぱり残ってほしい。
栄八郎先生の話を聞いて、西洋音楽は〈CD音楽〉のように思えてきた。デジタル化される際、「ニュアンス」と表現できるようなたくさんの音を削ぎ落としている、CDの音楽。
私は、今まで聞こえていなかった無数の音を何とかつかまえて、CDからLPレコードを作り直すような気持ちで、三味線を聴き始めている。
※お断り: 音楽ド素人の感想文です。内容の正確さは保証されません。ご了承ください。m(_ _)m
☆特典音源☆ ~ シビれる一瞬を、あなたへ ~
杵屋栄八郎師の「替手(かえで)」が聴ける! 替手とは、主旋律に重ねて弾く別旋律のパートのこと。 なんでも、我々が習っている『越後獅子』は超スーパーヒット曲なので、4重奏ぐらいまであるとか! ここで先生がご紹介してくれたのが、越後獅子の「晒の合方」という部分と、超有名イントロ部分の替手。「流派によって違うよ~」と説明してくれているのだが、とりあえず、華麗な指さばきに我ら大興奮!
お稽古って、たのしい!!
≪「越後獅子」替手のバリエーション≫
※注:この音源は爪弾きです(この演奏のとき、先生はバチをしまっていたので)。
ちなみに、「越後獅子」ってどんな曲?と思ったら、Amazon先生の「視聴」機能を頼りましょう。 → http://www.amazon.co.jp/dp/B00005EO5L 視聴の19「打つや太鼓~」が有名イントロ、23「何たら愚痴だえ~」が流行歌的部分、26「打ち寄する~」がクライマックスへと盛り上がり始めるところ。替手も入ってますねー。唄は「ドレミ」じゃ到底表現できない節回しですねー。
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