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文楽人形遣い 桐竹勘十郎

更新日:2021年1月24日

東京の三宅坂に国立劇場が開場したのは1966年のこと。 その同じ年に勘十郎さんは文楽の道に入った。 劇場の歴史はそのまま勘十郎さんの歴史でもある。 2年後はともに五十周年の節目。 「わが青春そのもの」とおっしゃるその劇場でうかがったお話を、 本編3回+番外編2回の計5回に分けてお届けします。

 

この人たちにはどんな景色が見えているんだろう。

スペシャルインタビュー

60歳を過ぎてたどり着いた境地


取材・文 浅野未華 撮影・市藤多津希

 

1. 足遣いにしか見えない世界

エアギターといえば、ギターなしでギターを弾くマネをするパフォーマンスのこと。そのエアギターならぬ「エアー人形」が話題を呼んだのが、昨年表参道で開催された「人間・人形 映写展」。文楽の「曾根崎心中」のお初と徳兵衛が心中に向かう場面を写真と映像で表現した展覧会で、作品世界の美しさ、人形なしで人形遣いの動きだけを見せたエアー人形の映像などが評判となり、連日多くの人が詰めかけた。

「エアー人形はずいぶん前からやっていますが、あれは人形遣いにとってはものすごくしんどいんです。なぜかというと気持ちを持っていくところがない。人形があればそこにエネルギーを注ぎ込めますが、それがないので気持ち的にしんどいんです」

エアー人形

文楽は太夫(たゆう=語り手)と三味線による浄瑠璃、そして人形遣いと人形がいて初めて成立する芸能。しかし人形遣い以外のすべてを取り去った映像にも、ひとつの短編映画のような余韻があった。人形遣いの動きそのものにも物語が宿っている証であるかのように。 「あれは一発勝負だったから撮れたんです。実はスケジュールの都合で3時間しか時間がなかった。もっと簡単な撮影かと思って現場に行ったら、何やらレールが敷いてあってカメラが何台もあって、えらい大がかりな撮影だなと。なんとか3時間で終わらせな、というのでちょっとテストをしたらすぐに本番。撮り直す時間はないのでみんなめちゃくちゃ真剣です。それがかえってよかったのか、一発でビシッと決まった。だらだら撮ってたらあそこまでのものはできなかったかもしれないですね」

ご自身で映像を見た印象をうかがうと、 「きれいでしたね。ああ、こういうふうに見えているのかと。徳兵衛の刀も自分の感覚ではスッとひいているだけなんですが、映像で見ると切っ先が微妙にふるえて動いていたり。非常に面白かったです。」


映写展メイキング2

3月に行われる杉本文楽公演の「曾根崎心中」では、お初を遣う。 「お初はね、天満屋の場面が難しい。縁の下に徳兵衛を隠してそこへお初が座っている。まわりに悟られないように普通にしゃべっているけれども、気持ちは下へ下へ向かっている。そのあたりがうまく伝えられるか。肩を落としたり、目を閉じたり、動きとしては少ないんですね。そういう小さな振りの中で怒り、哀しみ、徳兵衛への気持ち、いろんなものを表現しないといけない。そこが難しいです」

その後、物語ではお初と徳兵衛は手に手をとって心中する森へと向かう。道行(みちゆき)と呼ばれる場面だ。道行は振りが飲み込めていたらできる。ただ、最後にお初が死ぬところが師である吉田簑助(よしだ・みのすけ)氏のようにはできないと言う。 「昔、うちの師匠のお初の足遣いをやっていた時です。最後、お初が目をつぶって手を合わせ、「早く殺して」と言う。あの時、足遣いの僕の位置にはちょうど前方からライトがまっすぐに当たる。眩しいので主遣いや人形の影に入るんですが、そこから見るお初は光の加減で透けて、すーっと透明になっている。それがものすごくきれいなんです。主遣いや左遣いの位置からは見られない、斜め後ろで低くかまえた足遣いだけにしか見えない世界。きれいですよ。お客さんにも見てもらいたいですけど、いくらお金を出しても見られない特等席です

文楽は1体の人形を3人で操る。頭と右手を動かす主遣い、左手を動かす左遣い、そして足を動かす足遣い。中腰の姿勢で足だけを来る日も来る日も操る足遣いは、地味だし大変だ。しかしその足遣いだからこそ見えるとっておきの景色。今でも鮮やかにその場面が浮かぶのか、それを話す勘十郎さんの目が熱を帯びる。下積み時代にもたらされたご褒美のような瞬間なのかもしれない。 「でもそういうところのお初は難しいです。何にも動きがないので、そういうふうに見せられるかどうかは人形遣いの腕。人形の動きだけで役柄が出せるというものではないので、そこが人形を遣うというところの難しさですね。なかなか師匠みたいにはできないです」



「足遣いからしか見えない世界がある。 そこから見えるお初は透明に透けていて、ものすごくきれいなんです」

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2. 人形を100%活かしてくれるのは浄瑠璃

勘十郎さんはこれまでに実に様々な試みをしてきた。新作も手がけ、他ジャンルとのコラボも多い。3人遣いの人形でどういうことができるのか、その可能性をさぐってきたと言う。 「水の都・大阪」というイベントでは、バッハの無伴奏チェロ組曲に合わせて水をテーマにした作品を作った。曲を選び、ストーリーを考え、演出から人形の衣装まですべてを勘十郎さんが手がけた。 「人形の振りだけは自分で考えるのは無理なので、地唄舞の吉村雄輝夫(ゆきお)先生にお願いしておけいこをつけてもらいました。自分自身がまず踊れるようになってから人形を動かすんです。体でいっぺん覚える。なかなか厳しいおけいこでした」 一夜限りの舞台は無事成功を収め、「人形はどんな音楽にも合わせられるし、なんでもできる」と、人形の可能性を再認識するきっかけになった。と同時に、浄瑠璃のすごさも思い知った。 いつ、どこで、何をやっても、やっぱり浄瑠璃というのはよくできてるなというところに戻るんです。人形を100%活かしてくれるのは浄瑠璃だなと。新しいことをやることで古典に何か生かせることはないか、本当はそれをおみやげにもって帰りたくていろいろやっているんですが、なかなか。先人たちがここまで時間をかけ、知恵と工夫を重ねて作り上げてきたものなので、すでに完成されているんです。よくぞここまで作り上げてきたなというくらい」

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「生まれも年齢も性格も全然違う3人が1体の人形を操る。主遣いが「こうしたいな」と思えば左と足はパッとついてこられる。例えば今日僕が全然違う振りをしたとしてもついてこれますよ。だから自由に動けるんです。その演目、その役の練習をして動いているのではないんです。これはすごいことです」

人形遣いの修行は足10年、左10年、主遣い一生と言われる。それぞれの修行期間で学ぶことにはキリがないが、その中のひとつに「頭(ず)」がある。主遣いから受け取る合図だ。それは観客にはわからない、ほんのわずかな主遣いの体重移動だったり、首や肩の向きだったり。左遣いと足遣いはこの「頭」によって主遣いの指令を受け取って動いている。人形の動きは最初から最後まで100%きっちりと決められているものではなく、主遣いの意思によって自由に動かされているものらしい。

そんな3人遣いの人形で、勘十郎さんにはまだ試してみたいことがあるようだ。 「オリンピックの聖火リレーをね、人形と一緒に走りたいんです。足遣いは大変だから数十メートルおきに交代要員をおいて、自分は最後まで走る。その頃は67歳になってますけどね」 市川崑監督の映画「東京オリンピック」で聖火が大阪の街に入ってきた時、文楽人形のかしらが映っている場面があった。その印象が強烈に残っている。世界中が日本に注目するオリンピックというチャンスに、大阪という都市を、その街の芸能である文楽をアピールしたい。文楽人形が聖火を持って走ったらきっとみんな面白がって見るのではないか。勘十郎さんの頭の中にはそんなイメージが鮮やかに描かれている。


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3. 60歳を過ぎてたどり着いた境地

新たなことに挑戦する一方で、守っていきたいもの、守らなくてはいけないものは何でしょうかと問いかけると、「文楽らしさです」と即座に答えが返ってきた。文楽らしさとは何を意味しているのだろう。

「人形で言うと動きです。文楽の動き。3人で遣う人形芝居は全国各地にいろいろあります。でも3人遣いだったらなんでもいいかというとそうではない。文楽の遣い方をしないと文楽の人形とはいえないんです」 かしらの遣い方、手の遣い方、ひとつひとつに文楽の遣い方というものがある。それは他の地方の3人遣いの人形の動きとは全く違うもの。これを守らなければ文楽ではないと言う。

「人形の動きにはたくさんの型があり、名前のない動きもたくさんある。この役にはこの振り、この動きが適しているというものがあって、それを組み合わせていく。手をひとつ差し出すにも決まった法則がある。それを守らなければいけない。それができていないと見ていてどこかおかしいんです」 ちゃんとやっているつもりでも少しずつ崩れていく。そして一度崩れたらあっという間だと、勘十郎さんは危機感を募らせる。それを食い止めるには、ひたすら上の人の動きを見ることに尽きる。 「先輩の動きをよく見ておけ、舞台をしっかり見ろと口うるさく言われるのはそのためです。若い人には特にそれを言いたいですね」

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新しいものを創作するよりも伝承していくことのほうがはるかに難しい。そして次世代へ伝えていくためには、自分がまずきちんと受け継がなくてはいけない。 「師匠たちは自分たちの芸をいくらでもどこからでも取れ、と言いますけどね、取れないです。自分の器に応じた分しか取れない。だから自分でそれを大きくするしかない。最近師匠に似てきましたねと言ってくれる人もいますが、それは上辺だけなんです。中身は取れていない。本当に取らなきゃいけないのは中身なんです。先を見るとあまりに途方もなくて気持ちが萎えてくるので、できることからちょっとずつちょっとずつ。好きだったらそれができる。そうするとね、知らないうちにいろんなものが身についています」

2年後には文楽の道に入ってちょうど五十年の節目となる。 「ここ数年は人形遣いを始めて一番楽しい時期です。人形がとにかく自然に動いてくれる。無理をしていないんですね。動かそうとしていない。勝手に動いてくれる。昔は耳から浄瑠璃が入ってきたら頭の中をぐるりと一周してから人形の動きに伝わる、という感じだったんですが、今は耳から入ったときにはもう動いている。だから非常に楽なんです」

その証拠に、体には汗をかくが、顔は汗をかかなくなったのだとか。 「人形っていうのは自分の力で動かなくしてるんです。その力がどんどん抜けて、最低限、人形の重さを支える力さえあれば、それでいい。力が抜けてくると「人形ってこんなに動くの?」というくらい動く。それがわかったのは60を過ぎてから。今はどんな役でも楽しい。ずっと舞台に上がっていたいなと思うほど、人形を遣うのが楽しいです」


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番外編へ続く

桐竹勘十郎(きりたけ・かんじゅうろう) 昭和28年大阪生まれ。昭和42年14歳のときに人間国宝の吉田簔助氏に師事し、吉田簔太郎を名乗る。翌年初舞台。平成15年、お父さまの名跡を継いで三世・桐竹勘十郎に。紫綬褒章、日本芸術院賞、大阪文化賞など受賞多数。日本の楽器で一番好きなのは(もちろん)義太夫三味線。西洋の楽器ではチェロ。お酒と猫も好き。



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