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きりり。次世代の横顔 file.03 落語家 柳亭小痴楽

更新日:2021年1月24日

息子にとって父親とはおそらく一番身近なロールモデル。同じような道を行くか、はたまたまったく別の道を行くか。 いずれにしても少なからず影響を受けますが、伝統芸能の世界は特にそれが強いような。 次世代を担う若手にスポットを当てたインタビューシリーズ。第三回は父と同じ道を選んだ落語家の柳亭小痴楽(りゅうてい・こちらく)さんに登場いただきます。


Photo by 武藤奈緒美 Text by 佐藤友美

 

1.ずっと親父を追いかけている


今、落語家で勢いのある若手は誰か?そんな質問のときに必ず話題に上がるのが落語芸術協会の二ツ目・柳亭小痴楽さん。高校を中退してこの道へ入り、27歳にしてすでに芸歴は11年。父は五代目柳亭痴楽(りゅうてい・ちらく)。さぞかし子どもの頃からどっぷり落語漬けなのかと思いきや、父から受けた教えは全く別のものだったようで…。


──お父さんはどんな方でしたか?


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自由な人でした。ほとんど家にいなくて、毎日、今日は誰それと遊んでくるわって言って出かけてしばらく帰ってこない。帰ってきたら、「あー楽しかったわ」って言って寝て、起きたらまた遊びに行く。何をやってても楽しそうでしたね。

僕が学校に行かなくても怒るどころか、「コーヒーでも飲むか」って朝から喫茶店に連れていったり、「この2つで男を学べるから」と連日朝方まで『寅さん』や『仁義なき戦い』を一緒に見たり。

世間一般で言う普通の家庭環境とはまったく違ったけど、自分にとってはそれがすごく居心地がよかった。親父は学校とは全然違う価値観を教えてくれる人で、小さいときから普通の感覚じゃないものをくれました。友達とケンカしたときに言われたことも面白かった。「ケンカは終わらせ方までを考えてから始めろ」とかね。

入門して数年経つまで親父の落語は聞いたことがなくて、聞いてみたら正直そんなに好きじゃなかったけど、親父の生き方には興味があるし、人として大好きで、ああなりたいと思う。そういう意味でずっと親父を追っかけてるところがあります。



──小さい頃から落語家になろうと思っていた? 親父は家では落語の話は一切しなかったし、稽古してる姿すら見せなかったんで、落語というものを聞いたことがなかったし、興味もなかった。中学生の頃の自分はヤクザに憧れて、ヤクザになりたいなんて思ってたくらいで。あるとき、親父に「ヤクザも落語家もカタギじゃないという点で同じ。違うのは、人を悲しませるか、楽しませるか」って言われたことがあって。だったら楽しませるほうがいい、人を笑わせる商売でいきたいと思い始めた。そこですぐ落語、とはならなくて、まず考えたのは漫才。でもコンビだと自分が絶好調でも相方が調子悪いとベストな漫才ができない、逆の時もある。これはストレスだなと。じゃあ、一人でできるもの…漫談とかピン芸人。がんばったところで一発屋にもなれそうもない…。 そんなことを考えていた中3のある日、たまたま家にあったラジカセのボタンを押したら落語が流れてきた。柳枝(りゅうし)師匠の『花色木綿』でした。「親父の商売だ、聞いてみよう」ってそのまま聞いて、気づいたらケラケラ笑って聞き入ってしまった。そのとき、「もっと聞きたい」ではなく、「やりたい」って思ったんです。 次に父親に会ったときに「これ聞いたよ、面白かった。俺、これがやりたい。落語家になりたい」って言ったら「そうか、じゃあこれ読め」って立川談志師匠の名著『現代落語論』を貸してくれた。それにも感銘を受け、落語家になりたいという気持ちが強まっていきました。

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2. 入門と父の他界


──16歳で高校を中退して入門された。けれどその時、ちょうどお父様が病に倒れてしまい、お父様に入門という形にはなりませんでしたね。 親父が入門先を決めてくれて、文治師匠がいいんじゃないかと。文治師匠は当時から注目されていて実力・人望ともにすごい師匠でしたから、基礎からきちんと教われると思ったのかもしれません。でもあまりに遅刻が多くて前座を一度クビになった。最後は文治師匠が「破門じゃなく、預かったのをお父さんに返す」ということで、親父のところに戻るという形になりました。戻ってしばらくしたら親父が死んで、今の師匠、親父の弟弟子にあたる柳亭楽輔師匠が弟子にとってくれた。 結局、親父から落語を直接教わるようなことはありませんでした。


──お父様が亡くなられた直後に、前座から二ツ目に昇進され、今年で7年目。振り返っていかがですか? 二ツ目になって1年くらい、僕は甘えていましたね。父親と仲の良かった師匠方が、二ツ目になった僕に仕事をくれるんです。ご自分の会の前座に出してくれる。金銭的には困らないし、高座経験ももらえる。でもある時、思ったんです。ここのお客さんは誰も僕を見に来てはいない。歌丸(うたまる)師匠(※)が「小痴楽を」と言ってくれているだけで、お客さんから求められているわけではいない。「やばいな、これ」って。ほかの二ツ目より稼いでいるかもしれないけど、ほかの二ツ目とは明らかに仕事の質が違う。どうしよう、と。そこから稽古をちゃんとするようになりました。 (※桂歌丸…小痴楽さんの所属する落語芸術協会会長。小痴楽さんの父、五代目痴楽と共に協会の理事を務め、親しくしていた。今年「笑点」を勇退)



──人気落語家の独演会に出る。数千人の観客のいる大舞台で結果を出しているのなら、すごいことなのでは。

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結果を出してないと思いますよ。そこから仕事は派生していないですし。特に、小遊三(こゆうざ)師匠(※)はイライラしていたかもしれません。同期の桂宮治さんがNHK新人演芸大賞を受賞したとき、「おい、宮治がとったぞ」って言ったんです。仲がいいから僕、素直に喜んじゃって「すごくないですか!二ツ目になってまだ三ヶ月ですよ!」って言ったら、「お前悔しくないのか」って。師匠方が「こりゃだめだ、お前には心底がっかりした」って顔をしてたのを覚えてます。その時は何がだめだったのかわからなかったけど、今ならよくわかる。

それで、がんばるようになって、ちょっと寄席でウケるようになって、地方以外でもウケるようになってきて1年くらい、ようやく仲間の二ツ目との2人会の仕事が来たとき「ああ、やっとみんなと同じステージに立てた!」って思った。「やっとだー!3年たったか、遠回りしたな」って。でも、あの時「やばい」って気づけたのは本当に良かった。

(※三遊亭小遊三…落語芸術協会副会長。歌丸師匠同様、五代目痴楽と親しかった)



3.仲間の存在


──落語家さんのお稽古というのはどんなふうに? 寄席の楽屋などで師匠に一度(噺を)やっていただいてそれを録音します。そのときに仕草とかも解説してもらって。で、それを覚える。僕の場合は音源を一度文字に起こして、そのあと原稿用紙に清書して台本を作ってます。

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──自分で自分のダメなところに気づけないと稽古にならない。なかなか孤独な作業ですね。 そうですね。だから舞台のソデで聞いてくれて、アドバイスをくれる先輩方はありがたいです。成金(なりきん)メンバー(※)もお互いに高座を聞いて、いいところ、ダメなところ、何でも言い合える。向上していくのにいい仲間です。それから自分がいろんな師匠方に言われたことも仲間に伝えてみんなで共有するようにしています。自分ひとりだけでは理解できない師匠の言う本質も、皆が噛み砕いてくれることで「あ、そういう意味なのか」とわかることがある。仲間はみんな年上で大人だから、僕にとってはそのままでは固くて飲み込めない石を、「ほら、食べな」って、かみ砕いて口に入れてくれる感じです(笑)。 (※成金…落語芸術協会に所属する二ツ目で結成されたユニットの名称。メンバーは小痴楽さんを入れて11名。昨今の落語ブームを牽引している)


4.真打までの計画


──真打まで、順当にいけばあと3年ほどです。 前座の4年間は余計な入れごとを一切せずに、習ったことだけでウケるようにということを徹底してやりました。やりたいと思ったことはすべてメモをとっておいて二ツ目になるまでためておこうと。二ツ目になったら、最初の3年は噺をぐちゃぐちゃにしてもいいから、とにかく笑わせることに徹する。次の3年はそれを一切なしにして、前座の時のように習った通りにちゃんとやる。残りの3年間はその2つをミックスしてやる。そういうふうに過ごそうと17、8歳くらいのときに決めました。


──綿密な計画ですね。 でも真打昇進以降の絵は描いてないんです。ミックスしていった先に、自分が真打になってからの方向性が見えてくるんじゃないかと。昨年残った課題としては、仕草をちゃんとすること。NHK新人演芸大賞で上方の桂佐ん吉兄さんに負けて大賞を逃して気づきました。笑いの量ではあのとき負けてなかったと思いつつも、負けた理由は120%わかる。あの時の兄さんの高座は本当にきれいでしたから。普段からちゃんとしていないと出ないので、きちんと体に入れようって思いました。


──いずれはお父さんの名前・痴楽を襲名することになるのでしょうか。

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今のところは一切考えていないですね。「あの小痴楽が六代目・痴楽になるんだって」っていうくらいに実績を積んでからじゃないと継いでも意味がない。

僕が襲名するのを待ってくれている師匠方には早く恩返ししたいと思っています。望んでおられるのなら、「1日も早く継げるような人間になるから待ってて」と。でもまだ今は…。

正直、僕はこの世界をなめていたので二ツ目のうちにもっと売れていると思っていた。25歳くらいまでには世間的に売れてるって思ってたんです。「売れてる」というのは、落語に興味のない人にも知られているくらいのイメージ。でも今、その足もとすらも見えてない。前座のときに驕ってたんだなって。




5.存在そのものが落語でありたい


──この世界の水は小痴楽さんに合っているようですね。 すごく合ってます。歌丸師匠は僕がタバコを吸うことをご存じなのですが、「吸ってきていいよ」とは言わないんです。「おい小痴楽、あそこになんて書いてある?」「喫煙所って書いてあります」「あそこねえ、面白いんだよ、ちょっとのぞいてきておいで」って仰る。落語の世界のこういった機微が大好きです。 入門したときよりも今のほうがはるかに落語のことが好きになってきているんですが、入り込めば入り込むほど、子どもの頃よく見た「寅さん」と落語って似ているな、同じなんだなって思います。悪いやつが出てこないし、口は悪くてもみんな愛情があっていいやつばっかり。登場人物のキャラクターが似ているんだなって。


──落語をやる人の中には、自分のキャラクターありきという人と、キャラクターが消え、登場人物そのものになる人がいますね。 今の僕はどうやったって前者でしょう。でも目指しているのは後者です。自分をなくす、というよりも、実生活も落語のキャラクターそのまんまで生きていきたい。「小痴楽の落語」というより、自分の存在自体が落語になりたいですね。高座も私生活も自由闊達な名人、古今亭志ん生師匠みたいに。

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【柳亭小痴楽プロフィール】 1988年12月13日生まれ。東京都出身。平成17年10月、11代目桂文治に入門して 「桂ち太郞」で初高座。平成20年6月5代目柳亭痴楽門下へ移り、柳亭ち太郞を名乗る。平成21年9月 痴楽没後、柳亭楽輔門下へ。平成21年11月二ツ目昇進、3代目柳亭小痴楽となる。平成23年12月第22回北とぴあ若手落語家競演会 奨励賞受賞。




着物が好きで、仕事で地方に行くたびにその土地の反物を買ってます。年収の1/3は着物に使うというのが自分の中での決め事。二ツ目になってうれしかったのは、羽織を着られるようになってコーディネートの幅が広がったことです。







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読書が趣味で、移動中は必ず本を読む。今読んでいるのは、原宏一の『床下仙人』です。本を買うときはたいていジャケ買いで本屋さんをふら~っと回って装丁やタイトルが気になった本を買います。




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【お仕事道具拝見】

着物

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「高座に上がるときだけでなく、稽古するときも必ず着物に着替えます。そうしないとすぐに横になりたくなるし、遊びの誘いが来たらそっちに行っちゃうので。着物を着てたら横になれないし、飲み屋にも行けない。だから自分を戒めるというか、律するために着ます。高座に上がるときはいつもお守りを下げ、父親の五代目痴楽、大師匠の四代目痴楽、そして師匠・楽輔の手ぬぐいを重ねてお腹に入れてます」


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