★勘十郎さんのスゴ技 その1 「かしらも衣装も作れます」
ここん:杉本文楽の「曾根崎心中」で登場する1人遣いのお初人形は、勘十郎さんが作られたそうですが?
勘十郎:かしらは人形師の方が作りましたけど、あとはそうですね。衣装も自分で縫いました。工作したり、絵を描いたりというのが子どもの頃から好きで得意だったので。
ここん:衣装まで!和裁もなさるんですか?
勘十郎:見よう見まねですけど。あのお初の着物にはエルメスのスカーフが提供されたんですが、枚数が少なかったんで最初は木綿の白い布で試作してから作りました。断ち間違いをしたらえらいことなので。
ここん:見よう見まねでできるものなんですね…。
勘十郎:かしらも作ったことありますよ。
ここん:えー!かしらも??
勘十郎:靱猿(うつぼざる)という演目に出てくる猿の人形がありまして。あれは手も足も毛皮もぜんぶ自分で作りました。
ここん:それはまたどうして?
勘十郎:僕がまだ20代の頃、申年のときに朝日座でひさびさにその演目が出たんですよ。何十年かぶりだったんで猿の人形がなくて、ボロボロのかしらが出てきた。あまりにひどくてね。僕に猿の役がついたんで、自分で作りますわって言って。
ここん:木から彫って作るんですよね?
勘十郎:はい。だけどそうは言ったものの時間がなくてね。最後のほうは間に合わなくて京都で仕事へ行く途中の特急電車の中で彫ってましたね。揺れてる中でおがくず散らかしながらやってるもんで車掌さんににらまれながら…。あとでちゃんと片付けましたけども。
ここん:すごいです。
勘十郎:この時、初めて足も動くようにしました。足遣いが差金をもって親指でレバーを動かすと動く仕掛けです。手で扇を投げて足で受けるという振りを考えて、足が動いたら面白いかなと思って。今でも靱猿はその人形を使ってますね。
ここん:人形遣いさんてそこまでするものなんですか?
勘十郎:器用な人は自分で使う手とか足は作りますね。かしらまで作る人はあんまりいませんが。
勘十郎さんが作ったお初人形。人形浄瑠璃が成立した当初、人形は1人遣いによるものだった。18世紀の末頃までに現在の3人遣いの形が完成し、より複雑な表現が可能になった。杉本文楽では「観音廻り」の場面で、元禄時代の頃の1人遣いを試みた。
(c) Sugimoto Studio/ Courtesy of Odawara Art Foundation
★勘十郎さんのスゴ技 その2 「師匠の動きは見えなくてもわかる」
ここん:師匠方の指導ってどういう感じなんでしょう?
勘十郎:できてないときは「違う」と言われます。
ここん:「違う」…。それだけですか?
勘十郎:「違う」とただ一言。それしか言われない。どこがどう違うかまでは言われないです。
ここん:それはまた…。
勘十郎:その先輩や師匠の「違う」という言葉の中に、どういうことが含まれているか、それを考えて考えて考えて次のひと手を出す。それでもまた違うと言われるんですけども。
ここん:具体的に教えたほうが効率的、ということはないんですか?
勘十郎:簡単に教えてもらったものは簡単に忘れるんです。教わりグセがついてしまうんですね。そうすると教わらないとできなくなる。これは怖い話です。教えてくれる人がいなくなったらどうします? 舞台へ出たら誰も助けてくれない。全部自分で考えてやらなくてはいけない。特に主遣いは全部自分で判断して二人の人をコントロールしていかなくちゃいけない。自分で考えて自分で判断するクセをつけておかなくちゃいけないんです。そういう意味を込めて「教えません」というのもひとつのやり方。
ここん:なるほど。
勘十郎:昔ある師匠に呼ばれて楽屋へ行ったら「おまえ神経あるか?」と言うんです。
「あります」と答えたら、「あんのやったら使い」と、それだけ。どこに神経を使っていないかなんてもちろん教えてくれない。きっと僕が何かしたんでしょうね、神経の行き届かないことを。
ここん:ひえ~。
勘十郎:そういうことを積み重ねて常に自分で考えるクセをつけていく。そうするとね、神経もだんだん発達してきて、このへん(自分の首の後ろあたり)、見えていないんですけど、「あ、師匠今立ったな」とか「あ、お茶やな」「着替えるな」というのがわかる。で、パッとみたらだいたい当たる。
ここん:エスパーの域ですね!!
勘十郎:それくらいアンテナが研ぎ澄まされてくるんです。だから楽屋はピリピリしてますよ。
ここん:そういう察知する能力は舞台上でも大事ですよね?
勘十郎:相手の気を読むことは舞台では特に大事。右に行くか、左に行くか、今日は振りを変えたそうにしているか、そういうことがわかる。そうじゃないと舞台は勤まらないです。簡単にやってるように見えますけどね。
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