Text by ここんゲストメンバーN
つい先日、みんなで三味線の構えの練習をしたと思っていたら、なんともう「宵は待ち」は終わりにして、今日明日で「松の緑」を仕上げましょう!という先生のお言葉。え、だって、「松の緑」って今日初めてみんなで演奏する曲ですよね? たった一回、出張でお稽古をお休みしただけで、こんなにも先に進んでいたとは…。己のマイペース加減と、先生のなかなかハイペースなご指導の差が開きすぎて、もう背中も見えません(苦笑)。
さて、今回演奏している「松の緑」は、杵屋六翁(4世杵屋六三郎)による作曲。安政年間頃の作品と言われ、六翁の娘の名披露目の会にて唄われたとのこと。娘を松の若葉の初々しさに例えて、将来は大夫になるべき風格を備えるようにと詠まれた、娘の前途を祝した内容になっています。
「宵は待ち」に並んでお稽古の代表的な曲とされていますが、曲の趣を十分に表現するには実は熟練を要することでも知られる「松の緑」。
三味線の調絃には大きく分けて三つの種類があります。「三下がり」という調絃だった「宵は待ち」とは異なり、「松の緑」は「本調子」。ちょっとの違いで、随分と印象が変わります。
また、絃をはじいた撥をそのまま上にあげて絃をすくうようにして音を出す「スクイ」や、絃を抑えていた指でそのまま絃をはじいて音を出す「ハジキ」など、(我々には)高度な技法が次々と、しかも合わせ技で登場。
「ス」はスクイ、「ハ」はハジキ。「宵は待ち」に比べてぐっと譜面が込み入ってます。
すでに周回遅れで、演奏どころか三味線を構えるだけでも四苦八苦の僕。そして、先生から注がれる熱い視線。
撥に意識が集中すれば左手がおろそかになり、絃の勘所に気が向くと右手が動かなくなり、そしてどちらも頑張ろうとすると体が傾く…。弾いている最中は全く実感がありませんが、あとで写真や動画を見返してみると、撥は寝てるし、棹も寝てるし、体は傾いてるし…。
ついに業を煮やした先生。ここから、個人レッスン&猛特訓が始まりました(他の皆様、先生を独占してすみません)。
昔からよく言われます。 「学ぶ」とは「真似ぶ」こと。習うより慣れろ。 でも、言うは易しなんです。人のまねをするのがこんなにも難しいとは…。 そして、社会人になってから未知のことにチャレンジするのがこんなにも大変だったなんて…。
でも、不思議と楽しいんです。「あぁ、今日お稽古だ…」と思いながらも、早々に残業を切り上げて足早にお稽古場所に向かう自分がいます。 先生の熱心なご指導にお応えしたいという気持ちは勿論ですが、拙いながらも楽器を持って音を出すことの大変さを身をもって知ったことで、長唄の音楽の面白さや奥深さに対する理解が深まってきたことも楽しさの理由の一つかもしれません。そういえば、自然と先生のお手本を聞く耳も変わってきたような気がします。
地道に練習を重ねて習熟していくことが先生のご指導への何よりものご恩返し、とは分かっているものの、はてさてどうなる事やら…(ゴールは遠く、果てしなく)。
Comments