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自然と、芸能と、人間と。

更新日:2020年12月20日



華道家が荒廃した放置竹林を舞台空間に変え、能楽の囃子音楽がその空間を満たす。 2014年10月19日、静岡市葵区足久保にある竹林で行われた「森と水の能楽祭2014」は、 そんなちょっと風変わりなイベントだった。 主催したのは若手の能楽師と華道家で結成された「鼓花(こか)の会」。 伝統の源流をていねいに探る彼らの目に映るものとは―。


photo by 松浦栄一

 

◆暗闇に響く囃子の音 真っ暗闇の竹林に秋の虫の声が響く。満天の星空。風はなく、かがり火の炎が竹の陰影を映す。 笛の音が響くと、竹林の闇の奥から紋付き袴姿の一人の男性が姿を現し、切り出された竹を自在に操って一つの空間を完成させた。 ほどなくして囃子方の能楽師がその空間に並び、3種の打楽器と笛の音が響き渡る。他には何もない。ふだんは闇と静寂に包まれているであろうこの竹林に、濃厚な人間の気配が漂う。ここに棲む動物たちはきっと、今宵は何事かと思っているに違いない。

四人俯瞰

竹林の一部を間借りしたような空間。明かりがなかったら何も見えない、何も出来ない無防備な状態で、少しの畏怖を抱きながら目の前の音に耳を傾けていると、観客である私たちは何となくこの囃子の音に守られている感じがした。結界が張られているような感覚。自然に対してある種、無力であると感じた時、芸能の意味やその感じ方も変わるんだなと思った。


◆全国に広がる放置竹林 会場となった場所は、もともとは足の踏み場もないほど荒れていた竹林。いわゆる「放置竹林」と呼ばれるもので、近年、日本各地で問題となっている。 松、梅と並んで古くから日本人に愛されてきた竹は、カゴやザルなど生活になくてはならない資材でもあった。かつて、日本でタケノコや竹材の生産が盛んだった頃、多くの竹林が全国に作られた。しかし近代化とともに生活の道具や建築資材から竹が姿を消し、タケノコは安い輸入品に取って替わられた。需要が下がるにつれ、竹林は次第に放置されるようになっていく。 竹は生命力が強い。定期的に間伐するなど適切な整備を行わないと、竹林はまたたく間に荒れてしまう。高く伸びて光を遮り、下草や他の樹木の成長を妨げ、地下茎は地中浅く広がって地盤の保水力を低下させる。繁殖域は拡大する一方で、里山を浸食し、森林機能を失わせてしまう。

参道

竹の灯籠に導かれ、闇の中を進んでいくと竹林の一隅にこの日の舞台空間が拓かれていた



◆ヨーロッパへ渡った竹 放置されていた足久保の竹林に転機が訪れたのは、2013年7月。フランスで行われる能公演の仮設舞台を、日本の伝統的な素材である竹で作るという話が持ち上がった。その舞台美術を任されたのが、鼓花の会を主催する華道家であり建築家の辻雄貴(つじ・ゆうき)さん。 静岡出身だった辻さんは、地元で何かできないかと模索する中、足久保の竹林に行き着いた。多くの人の協力を得、この竹林から切り出された500本の竹がフランスへと送られ、能舞台となった。竹林を整備するというところにとどまらず、整備のために切り出された竹材が舞台空間という別の価値に転換した瞬間だった。 原点となった足久保の竹林で、あのとき支えてくれた人たちにこの循環をきちんと見せたい。そんな思いから今回の「森と水の能楽祭2014」を開催するに至った。 里山の再生活動に携わるGroomしずおかの鈴木良朗さんは、「環境問題は一朝一夕に解決できるものではないけど、人々の意識の中にあるのとないのとでは大きく違う。自分に何ができるか、なんて思わなくていい。ただ意識してくれるだけで、社会はそういう方向に流れていくはず」と、鼓花の会の活動に賛同し、サポートをしている。

フェール3

フランス・シャンパーニュ地方にあるフェール城で開催された能公演。ヨーロッパには自生していない竹という素材で舞台を設えた



◆横の繋がりを求めて 「鼓花の会」のメンバーである辻雄貴さんと、能楽大鼓方の大倉慶乃助(おおくら・けいのすけ)さん、同小鼓方の飯冨孔明(いいとみ・よしあき)さんはともに同世代。縦の繋がりの強い伝統芸能の世界だが、これからを担っていくには横の繋がりが必要、という思いから活動を発足させた。 安易なコラボレーションではなく、伝統の上に築き上げられたお互いのフィールドの根底にあるものを掘り起こし、共に探求していく、その延長線上に彼らの活動はある。空間演出を担う辻さんは、 「能楽が持つ本質的なところはそのまま伝えたい。彼らの芸そのものには手を加えず、環境を変えたり見せ方を変えるだけでどこまでできるか、それに挑戦しています。今回イベントをやった竹林は湿度が80%近くあったりして、ふだんの能楽堂の環境とはまったく違っていた。でも、彼らの芸能はもともと自然の中で、自然と対話するために生まれてきたもの。それをあらためて感じ取り、楽むことができたら面白くなると思います」と語る。



◆いけばなと能の共通点 華道家として能を見たとき、そこにはどんな共通点があるのだろう。 「ひとつは間(ま)の美学。音の粒と粒の間、立方と地方の関係性の間。花をいけるときも、花そのものをいけているわけじゃなくて、枝と枝との間を作るためにいける、枝の先にある空間のために角度を決める、というところがある。一見何もない「間」というものを、どれだけ生命力豊かなものにできるか。そういう感覚がいけばなにも鼓にもあるんじゃないかなと」 古来、芸術や芸能の源泉は自然であった。フランスの能公演で「土蜘蛛」のシテを舞った人間国宝の梅若玄祥さんが「もっと自然の中で舞ってみたい」とつぶやいた時、これほどのレベルの演者でも空間の力を求めているんだと、辻さんの心に強く残ったという。 「現代は、芸術として洗練を重ねてきたものの表層部分だけが見られがち。だけど、その根源をたどっていくと、もっと日本民族のおどろおどろしいものがあって、自然とは切り離せない部分が見えてくる」

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デモンストレーションで表現したのは、自然と人間の芸術空間との境界を作る、いわば結界を張るという行為。「表現としては難しい挑戦だった。でも“植物をいける”ということが、結界を張るということにもなるというところが、あらためて面白いと思った」と辻さん



◆次なる舞台へ 能楽といけばなだけじゃなく、林業や農業といった第一次産業とも連携しながら、自然と人間との関係性を再発見していく鼓花の会。次の公演は、2015年5月に登呂遺跡で行われる「登呂シャクジ能」。水田稲作発祥の地で「三番叟(さんばそう)」を上演する。舞台を踏みしめ、鈴を振り鳴らす三番叟の舞は、大地とそこに眠る生命を呼び覚まし、五穀豊穣をことほぐ。 「シャクジ能」の「シャクジ」は、シャグジとも宿神とも地方によってさまざまな呼称があるが、古来より日本各地で祀られてきた自然の精霊のこと。『精霊の王』(中沢新一・著)によると、猿楽をはじめとする芸能者はこの「宿神」を芸能の守護神として祀り、宿神の支えによってただ美しいだけじゃない、霊性にひたされた芸能が表現できると信じていた。「能楽が本来持っていた自然信仰の側面に光を当てることで、現代人の中に眠っている感覚に訴えられれば」、と公演のコンセプトを語る。 5月といえば田植えの時期。予測のつかない自然を相手にしていた昔の人は、芸能を神に捧げ、その恵みを祈った。そんな場所で見る三番叟は、どんな響きをもって迫ってくるのだろうか。


 
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「登呂シャクジ能」 日程:2015年5月9日(土) 会場:登呂遺跡[静岡県静岡市駿河区登呂5丁目] 上演演目:三番叟(さんばそう) 出演:辻雄貴、野村太一郎、竹市学、飯冨孔明、大倉慶乃助、林雄一郎



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