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邦楽フォーマット、洋楽フォーマット

更新日:2021年1月24日

 

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西洋の音楽における長調と短調というものをこどもに教えようとします。ですが当時の日本人にとっては、この長調・短調という音感はまったく持ち合わせていないものでした。つまり、ドレミファソラシドが歌えないのです。

謡と格闘している自分とドレミファが歌えない明治の人たちが重なり、とても親しみがわいた。と同時に、謡は音楽的にとりたてて難しいものなのではなく、やはりフォーマットが違うから読みこみにくいだけだったんだなとわかった。よく「音楽は世界共通言語」だと言われるが、そのときの音楽とはたいてい西洋音楽のことであって、多種多様な民族音楽には必ずしも当てはまらない。著者はバッサリ言い切る。

西洋音楽の音楽観を頼りにバリ島のケチャを聴いたとしても、当然ながらわたしたちは、それを解読する物差しを持ち合わせていません。約束事がわからなければ、何をやっているのかさっぱりわからないのが音楽なのです。

古典芸能や邦楽が、難しいとかなじみにくいと言われる要因とこのことは、無関係ではないなと思う。

そもそも「音楽」という言葉自体、明治以前の日本にはなかったものだそうで、近代化にともなって輸入されたさまざまな西洋的概念に対応すべく作られた言葉の一つだそうだ。 それまでは「うた」という言葉があり、ある一定の韻律のなかで美しい詩のような言葉を構成する行為を、音楽と同じように扱っていたのが日本人だった。

他にも本書には ・音楽の混乱期に生まれた《君が代》が、音楽的にどんな構造を持っているか(←これ、面白かった!)。 ・そもそも学校教育に西洋音楽が取り入れられたのはなぜか(←理由を知ってびっくり!)。 ・音楽はいつから間違ってはいけないものになったのか(←日本の「うた」はもっと自由!)。 ・なぜ人は歌うことをはずかしがりはじめたのか(←明治期に「音痴」が大量生産された?!)。 ・日本の流行歌の源は学校音楽の音階である(←唱歌と演歌の関係性、面白い)。

といったような興味深い話がいろいろ書かれている。 本の主題は、「子供への音楽教育が生まれた経緯を通して、その”音楽”が及ぼしてきた誤解を解き、本当の音楽とは何かを問いかける」というものだが、現代の日本人と邦楽との間になぜこんなに距離ができてしまったのかがよくわかる一冊だと思う。

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