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Vol.2 神事と芸能の里、黒川能へ

更新日:2021年1月24日

山形県鶴岡市黒川で室町時代から500年間、途絶えることなく受け継がれてきた黒川能。 2月1日、2日は、黒川能最大の神事である「王祇祭(おうぎさい)」が行われます。 雪に包まれた厳寒の里が、1年でもっとも熱くなる2日間。 信仰と表裏一体となった芸能が、今も脈々と暮らしの中に息づいている様子をひと目見たくて、一路山形へ飛びました。

 

■いざ、山形へ! 2月1日昼過ぎ、羽田空港にここんメンバーは集合した。みな、着ぶくれている上に、足もとはスノーブーツ。1泊2日のこの取材旅行、手荷物の半分以上は防寒着である。山形県黒川といえば地吹雪で有名なくらい雪深い町。そこで夜通し能を見るのだ。オールナイト能だ。冷えは禁物。何はなくとも防寒対策!準備は完璧。いざ黒川へ!

庄内空港にいさんで降り立った私たちを出迎えてくれたのは一面の銀世界………ではなく、ほとんど雪のないごくごく普通の地方都市。タクシーの運転手さん曰く、「今年はえれぇ雪がすぐねぇ」だそうで。 予習に見た黒川能のDVDにあった横殴りの吹雪きの映像が脳裏をよぎる。まあ、イメージとはちょっと違うが、寒くないのはいいことだ。厚着しすぎで額にじんわり汗を浮かべながら、私は運転手さんにほほえんだ。膝の上には「寒さ対策」という理由で買い込んだ日本酒がずしりと重くのしかかる。そうそう、防寒着ともう一つ、事前に調達しておいたのは、肝機能を高める「ヘパリーゼ」。ほかのメンバーは、途中のコンビニで「ウコンの力」を買った。だってオールナイト能なのだ、体調管理には最新の注意を払わねばなるまい。オールナイトなんてものから遠ざかって久しい三十代。己の身体を過信してはいけないと戒める。



■王祇祭、その狭き門?! ここからさかのぼることおよそ3ヶ月、「伝統芸能な旅」の企画第二弾として黒川能が上がった。調べたところ、アポ無しで見られるわけではないようで、事前に申し込みをし、抽選に通った人だけ参加できるらしい。まるでジャニーズのコンサートだ。 そこで4人のメンバーでそれぞれ応募し、誰かが通ったらその同行者として参加するという作戦に打って出た。申込書には住所・氏名・電話番号のほか、同行者の名前と鑑賞したい理由まで添えよとある。どんな理由が事務局側のココロに響くのかはわからない。我々4人は鑑賞動機もバラバラにし、申し込み手段もごていねいにファックス、手紙、メールと変えて申し込んだ。 およそ1ヶ月後の12月某日、続々と落選通知が届く中、4人のうち1人から「通った!!!」という吉報が入った。よっしゃ!

ほどなくして送られてきた参加案内通知には、 「収容規模等を受けまして、観能者を120名に限定し抽選を行った結果、貴方様から参加していただくことになりました。」 とあった。狭き門をくぐり抜け、黒川能への切符を手に入れたのだ!と一気に気分は高まり、年が暮れていったのであった。



■黒川能とは


ここで黒川能について少しご紹介したい。 黒川能とはそもそも、山形県鶴岡市櫛引の黒川集落にある、春日神社に奉納される神事能。その歴史は500年と古く、中央の五流(観世、金春、宝生、金剛、喜多)と同系でありながら独自の伝承を続け、国の重要無形民俗文化財に指定されている。 能役者は地元の春日神社の氏子の人々で、子どもから老人までおよそ160人ほど。春日神社からの旧道を境に、南側の集落を上座、北側を下座として二つの能座を形成し、それぞれ持っている演目も異なる。年間を通して祭事や公演で能が行われているが、毎年2月1日、2日に行われる王祇祭(おうぎさい)が1年で最も重要な行事。


王祇祭では上座と下座、それぞれに当屋と呼ばれるその年の当番の家が決められる。当屋は春日神社を出たご神体(王祇様)を迎える神宿であり、かつてはこの当屋の家に能舞台をしつらえ、演能が行われていた。現在では諸事情から公民館に場所が移されたが、当屋の主は当屋頭人(とうにん)として一世一代の大役を果たす。

上座と下座の二つの能座は、お互いにライバル意識を持ち、芸を磨いてきた。王祇祭の1日目は、二つの当屋でそれぞれ夜を徹して演能が行われ、2日目は春日神社の拝殿で両座が共演する。 芸術的な洗練を極めた中央の能とは対照的に、自然とともに生きる人間の原始的なエネルギーが残されているのが黒川能である。


黒川の鎮守の神・春日神社

黒川の鎮守の神・春日神社















黒川能は、能面230点、能装束400点、演目数は能540番、狂言50番と民俗芸能としては非常に大きな規模を保っている

黒川能は、能面230点、能装束400点、演目数は能540番、狂言50番と民俗芸能としては非常に大きな規模を保っている















 

■mission1 席を確保せよ そんなこんなでタクシーに揺られ、王祇祭の事務局がある王祇会館へ到着。まずここで受付を済ませる。受付を終えると、御神酒と黒川名物の焼き凍み豆腐がふるまわれた。

豆腐は、神社に奉納された大豆から作られたもので、それを串に刺し、1月中旬頃、地元の人たち総出で二日間かけて焼くのだそうだ。その数、なんと数千本。それを一度凍らせて保存しておいたものが使われる。


黒川名物・焼き凍み豆腐。王祇会館では一人ふた椀ずつ配られる。上座と下座で味付けが違い、上座(左)はしょうゆ風味、下座(右)はみそ風味






黒川名物・焼き凍み豆腐。王祇会館では一人ふた椀ずつ配られる。上座と下座で味付けが違い、上座(左)はしょうゆ風味、下座(右)はみそ風味



小腹を満たし、諸注意の説明を受けたあと、いよいよ係の人に引率されて演能場所へ。今回、我々が見たのは上座のほう。会場に足を踏み入れたものの、勝手がわからずまごまごしていたら、完全自由席の見所(けんしょ)は席取り合戦に沸いた。 ある猛者は長座布団を持参し、ある猛者は後ろの方で簡易椅子のようなものを広げている。丸腰の私たちは「とっ、とりあえず前方に場所を確保せねば!」と自らの身体でかろうじてスペースをキープした。あっという間にぎゅうぎゅうである。体育座りのほか体勢の取りようがないばかりか、私のつま先には前の人のおしりが乗っかっている。。。

時計を見ると夕方4時半。能が始まるのは18時。荷物だけ置いて場所をキープなんてことは不可能と判断し、一人ずつ交代で夕食をとりに行き、残されたメンバーがその場所を死守するという作戦で乗り切ることにした。



■mission2 15分で夕食 オールナイト能と意気込みつつも、本気でオールができるのか不安を抱えていた我々は、宿泊場所もちゃんとキープしておいた。黒川ではいわゆる民宿のようなものはなく、紹介を受けて一般の個人のお宅に泊めさせていただく。なんだか親戚の家におじゃましたみたいな感覚。夕食もそこで用意していただいた。王祇祭は神事なので、地元の方々は祭の間、精進潔斎をし、生臭物は口にしない。ヨソ者である私たちも、神事に立ち会わせていただくので同じように精進料理をいただく。

右手前の椀は焼き凍み豆腐のたれのようなもので「二番汁」と呼ばれる。「一番」は酒だからなのだそう






右手前の椀は焼き凍み豆腐のたれのようなもので「二番汁」と呼ばれる。「一番」は酒だからなのだそう




メニューは、うるいのおひたし、こごみのだだちゃ和え、もって菊の酢の物などの地のものばかり。ここでもまた、焼き凍み豆腐がふるまわれる。王祇祭は別名「豆腐祭」とも呼ばれていると何かに書いてあったのを思い出す。じっくり味わっていたいところだが、持ち時間は一人15分。宿のお母さんに見守られる中、急いで胃袋におさめて再び会場へ。

■演能、開始 すっかり日も暮れ、能舞台の四隅に置かれた大きなろうそくに火がともる。裃(かみしも)をまとった能役者たちが姿をあらわし、いよいよ演能が始まった。最初は子どもによる「大地踏(だいちふみ)」。地謡が「だいちを げんの はじめに~」と謡い、子方は「とうざい なつかしとして てらをさんの ごいわいに…」と、あどけなく透き通った高い声を響かせ、大地を踏みしめる動きをする。

「大地踏」は、王祇祭独自の演目。配役表によると大地踏の子は平成20年6月生まれとあるので、5歳。立派に勤めている





「大地踏」は、王祇祭独自の演目。配役表によると大地踏の子は平成20年6月生まれとあるので、5歳。立派に勤めている





「大地踏」が終わると帰る方もけっこういたようで、見所にはいくらかすき間が生まれた。続いて式三番。能の最初に行い、天下太平、国土安全を祈念し、演能の場を清めるという儀式的な曲。千歳(せんざい)、翁、三番叟の3人が順次祝福の舞を舞う。 その後、能1番(この年は老松)、狂言1番(同・三本柱)があり、「暁の使い」という儀式があって休憩となった。能役者たちは舞台の上で夜食をとり、見所はおのおの夜食の弁当を広げている。お酒もじゃんじゃんふるまわれ、盃ではなく汁椀になみなみとつがれる。ヘパリーゼがいい働きをしてくれたのか、この日はどこまででもおいしく飲めた。ビバ、ヘパリーゼ!

ここでもやはり「焼き凍み豆腐」。ずっしりしていてけっこうおなかにたまるんです
















ここでもやはり「焼き凍み豆腐」。ずっしりしていてけっこうおなかにたまるんです




ごった返す見所







ごった返す見所

じゃんじゃん振る舞われるお酒







じゃんじゃん振る舞われるお酒

すっかりごきげん♪








すっかりごきげん♪


 

■穏やかで、不思議な時間 そこからは能4番、狂言3番が延々と続く。地謡は演能中でも、出番がないときには地謡座で煙草を呑み、酒を呑み、談笑しながら緩やかに舞台の進行を見守る。中央の能ではありえない光景に最初は衝撃を受けたが、演能が進むにつれ、次第に納得していった。これが生活に息づく能なのだ。神事でありながら祝祭なのだ。

地元の方とおぼしきおばあちゃん。うれしそうに、楽しそうに舞台を見ていた






地元の方とおぼしきおばあちゃん。うれしそうに、楽しそうに舞台を見ていた


裏方で神事を支える女性たち。ふるまわれた熱いお酒や温かい夜食、しみました







裏方で神事を支える女性たち。ふるまわれた熱いお酒や温かい夜食、しみました


黒川能は、謡も動きもいわゆる中央の能とはだいぶ異なる。謡は地方の訛りが混じっているらしく、どことなくリズミカルな響き。全体的に中央の能のようにギュギュギュっとした感じがない分、ゆったり、力まず見ていられる。炎が揺らめくのを飽かずに眺めているような、そんな感覚にとても近く、自分の内側がしんと静かになっていく心地よさがあった。 能楽堂などで能を見ると、ともするとすぐに睡魔に襲われる。なのに、どうしたことだろう、ここでは夜を徹して能を見ているというのに、睡魔がやってこない。2時になっても3時になっても、私は飽くことなくただじっと舞台を見つめていた。それはとても不思議な時間だった。


見所の後ろのほうには、当屋頭人とその脇に2人が控えていた。ふと見ると脇の2人は崩れるように寝落ちしていたが、当屋頭人は微動だにせず、舞台を見守っている。高齢者にはきつい役目だと思う。しかし彼は、当日その場にいた誰よりもはっきりと覚醒し、深いしわが刻まれた目元に力強い光を宿していた。存在そのものがかっこよかった。こんなかっこいい老人がいるコミュニティを、私は初めて見た気がする。

舞台を見守る当屋頭人。頭上につるされているのがご神体の王祇様











舞台を見守る当屋頭人(右)。頭上につるされているのがご神体の王祇様




■酒と狂言 狂言は酒をおいしそうに飲む場面がよく出てくる。上手な役者だとこちらの喉も思わず鳴ってしまいそうになる。黒川能ではそんなとき、つられるようにお酒が飲めるのもいい。折しも舞台の上は「棒縛(ぼうしばり)」。棒に縛り付けられた太郎冠者と次郎冠者が、なんとかして酒を飲もうと知恵を絞るお話。 「みどもにもご酒(しゅ)を」などと太郎冠者プレイを楽しみながら注ぎ注がれ、また視線を舞台へ戻す。途中で温かいうどんがふるまわれ、穏やかに時間が過ぎていく。ここんのメンバーは一人、また一人と脱落していき、サバイヴしていたのは私一人。 狂言「節分」では舞台の上から豆やお菓子が見所に向かってまかれ、「縁起物だから」と脱落したメンバー分も拾い集める。

そして迎えたラストナンバー「猩々(しょうじょう)」。猩々といえばお酒だが、さすがにもう飲めない。緋色の髪が炎の向こうに揺れるのを眺めているうちに、白々と夜が明けていった。ちなみにこのときの見所はもうガラガラである。つわものどもが、夢のあと。

猩々は酒好きの妖精。シテは猩々になりきるため、酒を飲んで舞台に立つこともあるという

猩々は酒好きの妖精。シテは猩々になりきるため、酒を飲んで舞台に立つこともあるという


 

■黒川の若者たち


最後まで見届けた満足感にひたりながら宿に戻り、少し仮眠を取って朝ごはんをいただく。食べながら宿のご主人やお母さんにいろいろ話を聞いた。 当屋は経済的にも時間的にもすごく負担が多いこと。でもそれをフルサポートする「世帯持ち」という役目があること。地元の人は全員、なんらかの形で祭に関わっていること。地域の子どもたちは行事や伝統を通して絆を築き、育っていくこと。「若い子もしっかり関わっていて、みんないい子だね。伝統ってめんどうだけど、人を作るっていう側面があるから、やっぱりいいものだなと思う」と言ったお母さんの言葉が印象的だった。

朝ごはんを食べながら、いろんなお話を聞かせてもらう。黒川のコミュニティに少しだけ入れてもらったような感じでうれしかった




朝ごはんを食べながら、いろんなお話を聞かせてもらう。黒川のコミュニティに少しだけ入れてもらったような感じでうれしかった





しかし王祇祭はまだ終わってはいない。身支度をととのえ、春日神社へ向かう。2日目は上座、下座にそれぞれおりていた王祇様が再び春日神社に戻ってくる。どちらが早く王祇様を神社に戻すか、神社の急な石段を競って駆け上がるという「朝尋常(あさじんじょう)」からスタート。ここは若手の出番。たっつけ袴に上半身は長襦袢という姿で早朝からみな血気盛んだ。

今か今かと待っていたら、なにやら歓声とともにあっという間に王祇様は目の前を通り過ぎていった。勝ったほうの若者たちは肩を組んで喜びあっていた。先ほどのお母さんの言葉が思い出された。


前方にある小窓に向かって王祇様を運ぶ






前方にある小窓に向かって王祇様を運ぶ




この年は下座が勝利!







この年は下座が勝利!



■二つの橋がかり


この後、神社拝殿では神事が続き、10時半頃からふたたび演能が始まる。地元の人はみな黒紋付き姿。幾度となく袖を通しているであろうそれは、少しくったりしていて彼らの身体に自然に沿っている。日本人の第一礼装、こんなに着慣れてる人たちを、こんなにいっぺんに見たのは初めてだ。みんな超かっこいい。


両座共演となる2日目は番組の順番が逆になり、脇能→大地踏→式三番の順。神社拝殿にある能舞台は、舞台の右と左の両方に橋がかりがあるという独特の構造で、向かって左の橋がかりからは上座が、右からは下座の役者が入ってくる。下座の囃子方は並び順も常とは逆になり、向かって左から笛、小鼓、大鼓、太鼓になる。ちょっと不思議な光景。役者陣の顔ぶれに変更はなく、この方たちは徹夜で舞台を務めた後、また舞台に上がるのだ。しびれる。


下座の地謡座。その奥には下座の橋がかりが見える












下座の地謡座。その奥には下座の橋がかりが見える



下座による能「嵐山」。拝殿内の雰囲気と相まって、美しく荘厳な舞

下座による能「嵐山」。拝殿内の雰囲気と相まって、美しく荘厳な舞


■クライマックスへ 演能も終盤に差し掛かり、ラストの三番叟あたりになると、囃子方の後ろに並んでいた若者たちがにわかに騒がしくなる。三番叟の激しい舞とともに祭が一段と熱を帯び、クライマックスの「棚上り尋常」へ。「棚上り尋常」とは、拝殿内の両脇上にしつらえられた棚にどちらの座が早く上がるかを競うもの。参加するのはまだ未成年とおぼしき若者2名×2座の4名。両座の兄貴分らがいろいろ戦略を伝授しているのだろうか、作戦会議のような様子が見受けられた。

「棚上り尋常」に参加する両座の代表4名










「棚上り尋常」に参加する両座の代表4名




準備は整い、両座、見合って沈黙の一刹那。合図とともに御神酒をあおると、いっせいに棚を目指して駆け出した。それを待ち受けて棚に上がるのをヘルプする兄貴衆。またたく間に一人が棚の上に上がった。わき起こる歓声。

両座の競い合いが祭を一層盛り上げる

両座の競い合いが祭を一層盛り上げる


どれだけ観光客が来ようと、カメラのフラッシュがたかれようと、当事者たちは誰もそんなのは眼中になく、自分たちの守り継いできた祭の高揚の渦に浸っていた。 そして拝殿の後ろの一隅には、そんな彼らをゆったりと見守っている人たちがいた。代々の当屋頭人を務め、隠居した人たちだ。肩の荷をおろし、自分たちが渡したバトンが受け継がれていくのを見守っている人たち。昨夜見た、あの厳しい表情を崩さなかった当屋頭人の方も、来年はここに座って祭を見ているんだろう。それにしてもなんとカッコイイおじいたちよ。

隠居した長老たち。白い二本の線が入った羽織は当屋頭人を努めた者の印







隠居した長老たち。白い二本の線が入った羽織は当屋頭人を努めた者の印





■年寄りがかっこいいコミュニティ・黒川 ここまでが、今回、私たちの見た「黒川能」。 まだまだ見落としている魅力がほかにもたくさんあると思う。それくらい重厚な祭だった。 芸能はそもそも神に捧げるためのものだった、という原点を体感できる時間だった。 私が知っている能というのは、大衆とも距離を置く、やや難解で格調高い、一部の愛好家のための芸能という感じだった。だが黒川で見た能は、老若男女すべての人の暮らしの中に、ごく当たり前にあるものだった。芸能って元をたどればこういう形で身近にあるものだったんだな。 また、印象的だったのは、黒川が、「年寄りが元気」のその先を行く、「年寄りがかっこいい」コミュニティだったこと。旧態依然としているように見えて、実はとても先進的な社会のあり方なのではないかと思った。

地謡のおじいfrom上座












地謡のおじいfrom上座


大地踏の子方になにやら話しかけているおじいfrom下座










大地踏の子方になにやら話しかけているおじいfrom下座


慣れた手つきで袴を着けるおじい











慣れた手つきで袴を着けるおじい



あれから10ヶ月。季節は巡り、また王祇祭が近づいている。細々と、でも確かに、黒川能は今日も受け継がれ続けている。

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