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Vol.3 春日若宮おん祭に行ってみた

更新日:2021年1月24日

伝統芸能探訪を掲げて日本全国津々浦々を旅するこのコーナー、前回の黒川能から早2年、またしても「寝ない」「寒い」「長い」と三拍子そろったタフな芸能旅に出かけてまいりました。 訪れたのは様々な芸能が奉納されることで有名な、春日若宮おん祭(まつり)です。 聞けば平安時代から続いているというお祭りで、今回でなんと880回を数えるとか。 それほど長い祭りの歴史の中で神様に捧げられてきた芸能は、まるでタイムカプセルのごとく、いにしえの名残を留めているに違いない。 そんな期待に胸を膨らませ、たくさんの防寒着で荷物を膨らませ、いざ12月の奈良へ――。


Photo by 武藤奈緒美 with ここんの愉快な仲間たち

 

◆おん祭、それは伝統芸能のフジロック?!


おん祭は、春日大社の境内にある若宮社殿にまつられている神様(若宮様)を、「お旅所(たびしょ)」と呼ばれる社殿の外に連れ出し、数々の食べ物と芸能でもてなす、という神事である。毎年12月15日~18日の4日間にかけて行われているが、若宮様が社殿を出る12月17日0時から、ふたたびお戻りなる18日の0時までが祭りのメイン。

外へお連れした若宮様には古代から近世に至る様々な芸能が捧げられる。神楽(かぐら)、東遊(あずまあそび)、細男(せいのお)、和舞(やまとまい)、田楽(でんがく)、猿楽(さるがく)、舞楽(ぶがく)…。日本古来の芸能から、大陸の香り残る外来のものまで、この祭りが興った時代の芸能が、野外に設えた舞台の上で次々と繰り広げられていく。その光景は誰が言ったか「伝統芸能のフジロック」。伝統ある神聖なお祭りなのだが、我々は半ば「野外フェスに参戦!」くらいのノリでやってきたのであった…。



◆おん祭に来る価値の半分以上はここにあり。遷幸の儀 おん祭は様々な行事が目白押しであるが、やはり必見は遷幸の儀だ。 社殿を出た若宮様をお旅所までお連れするという神事で、「その場に立ち会おう」「その様子を一目見よう」と、2時間くらい前から参道には行列ができ始める。若宮様の「出待ち」だ。我らここんメンバーも22時頃、ゆるゆると出待ちスポットである二の鳥居へ向かった。到着するとすでに20メートルくらいの列ができていた。


待っている間も行列はどんどん伸び、厚い人垣となっていく。そしてその時が近づくと、参道からすべての明かりが消された。警備員のライトも、自動販売機も、トイレの明かりも、一切の人工的な光が消え、足元から暗闇が広がっていく。それと入れ替わるように空が一段明るく映る。出待ち人たちの話し声もいつの間にか止み、春日大社の森は静寂に包まれた。


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しばらくすると二の鳥居の奥から、かすかに雅楽の音色が響いてきた。続いて虫の羽音のような「ウォー」という低い唸り声。その音と声はじわじわとこちらに近づきながら空気を震わせ、濃厚な神様の気配となって我々の肌にじかに伝わってくる。手首から二の腕にかけて鳥肌が何度も走った。

やがて松明の炎の明かりと白い装束の列が現れた。大きな松明を地面に引きずりながら先頭を行く人が二人。そのすぐ後ろには、松明の火の粉を地面に叩きつけながら従っていく人。落ちた火の粉は、車輪のわだちのように闇の中に点々と二本の筋を描いていく。それに導かれるように進んでいく行列。若宮様はこの行列の中心にいるようだが、外側からは見えない。しかし、見える見えないはさほど問題ではなく、何かすごいものが今、目の前を通過していっているという感覚に圧倒される。畏怖の念がいやおうなくわき上がり、自然とこうべを垂れ、目を閉じた。 撮影の類は一切禁止のため、この神秘的な光景はその場に居合わせた者のみしか知りえない。清浄な気に満ちた夜の森に響く雅楽の音色がどれほど美しいかも、ここに来なければわかりえないのである。それを体験するだけでもおん祭に来る価値がある。

若宮様がお旅所に到着すると、暁祭(あかつきさい)となる。神様と人間の、年に一度の楽しい時間の始まり始まり―――。


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おん祭のメインスタジアム的存在のお旅所。鼉太鼓(だだいこ)と呼ばれる、雅楽で用いられる太鼓が若宮様を出迎えるように鎮座する。


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まずは神楽で若宮様をもてなす。



◆お渡り式&松の下式 そしてあくる朝。この日は正午からの「お渡り式」、続く「松の下式」、そして「お旅所祭」と盛りだくさんである。お渡り式はいわゆる「お練り」というかパレード。芸能集団や祭礼に関わる人が行列をなし、春日大社へと進む。 出発地点となる県庁舎前の広場には平安時代から江戸時代に至るまで様々な装束をまとった人たちでにぎわっていた。何人かの方にお話を聞いてみると「会社から言われて来ました」という人が少なくなく、4ヶ月ほど前に東京から単身赴任で来たばかりだという人もいた。「この恰好を妻にメールしたら『奈良で何してんの?』って言われちゃいました」と笑顔を見せる。


【お渡り式の様子】

同じ会社の仲間です!新人や新しく赴任してきた人にこの役割が振られることが多いとか。地元になじむための一つのツール?


この恰好をしている間は、タバコとトイレがNGなのだそう。


御幣を担いでいい笑顔!


「ちょっと曲がってないか?」「そう?」なんて会話が聞こえてきそう。


鹿もウロウロ。


鎧兜に身を固めた流鏑馬・随兵(ずいひょう)。


外国人の参加者の方も。おん祭は被り物もいろいろ。


二人が持っているものは「田楽花笠」。奈良一刀彫人形が飾られている。


それぞれどんな立場なのかが書かれている札を腰から提げている。


お渡り式スタート。こちらは被衣(かずき)をかぶった巫女(みかんこ)。


こちらは猿楽座の面々。


色鮮やかな装束が目を引く田楽。


馬長児(ばちょうのちご)。笠には山鳥の尾が一本。


武具もパレードに参列。こちらは野太刀(のだち)。長さはなんと5m超!


平安時代から江戸時代までの大行列。奈良県庁舎前がベストスポット。

 

お渡り式の一行が春日大社の一の鳥居へ到着すると、松の下式が行われる。参道の途中に「影向(ようごう)の松」と呼ばれる場所があり、お渡り式の行列がここを通過する際に行われる儀式だ。ここで芸能の一部も「チラ見せ」される。


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「影向の松」は能舞台の鏡板に描かれている松。「鏡板の松に実在のモデルがあったなんて」と現在は切株となってしまったその姿にじっと見入る。どんな姿をしてたんだろうなぁと、かつての姿に思いを馳せながら各々が知る鏡板の松を重ねた。




松の下式は有料の観覧席が参道の両側に設えられるので、全体をじっくり見たいという人にはおすすめ。ただ、各芸能はチラ見せなので、その後の長い夜に備えて、ここはサラッと見物でもOK。



【松の下式の様子】


お渡りの先頭、「祝御幣(いわいのごへい)」と「梅白枝(うめのずばえ)」が参道へ。


首からのびる白く長い布は「千早(ちはや)」。道を清める意味がある。


続いて「十列児(とおつらのちご)」。馬上にいるのはお旅所で東遊(あずまあそび)を舞う4人の男児。


第一番「日使(ひのつかい)」。日使とは関白藤原忠道の一日代理。お供の陪従(べいじゅう)はここで笛を吹く。


第二番「巫女(みかんこ)」。風流傘の紙垂(しで)がなびく。


影向の松の前には、「頭屋児(とうやのちご)」と呼ばれる子ども2人。興福寺の名代として行事を検知する役目で、かつては興福寺の学侶から選ばれていた。


第三番「細男(せいのお)」。細男の舞はおん祭でしか見られない。


袖で顔を隠すような所作をする。


第四番「猿楽」。猿楽は能楽の古名。


もとは大和猿楽四座(金春・観世・金剛・宝生)が出仕していたが、現在は金春のみ。


松の下式では、「開口(かいこう)」「弓矢立合(ゆみやたちあい)」「三笠風流(みかさふりゅう)」が演じられる。


囃子方と地謡は後ろに横一列で並ぶ。


ワキの「開口」。ワキ方高安流の高安勝久氏が務める。


続いて「弓矢立合」。


3人の相舞による、儀式的な舞囃子。


糸鞋(しかい)と呼ばれる白い布製の靴をはいて舞う。


狂言方・大藏流茂山千五郎家の役である「三笠風流」。


かつて猿楽と人気を二分したと言われる田楽座。華やかな五色の御幣(ごへい)。


田楽はおん祭で行われる芸能のうち、興福寺ともっとも深い関係にあった芸能。


笛役の二﨟が被る田楽花笠は、おん祭の被り物の中でも最大級。


「中門口(ちゅうもんぐち」。笛、太鼓のほか、南京玉すだれの原型とも言われる「ささら(びんささら)」という打楽器を鳴らす。


「高足(こうそく)」。もとはホッピングのような曲芸だったと言われる。現在は形式のみが残され、飛び跳ねたりはせずに、足をかける所作だけをする。


「刀玉(かたなだま)」と呼ばれるナイフ投げのような曲芸。


田楽はおん祭が行われた当初から奉納されているという古い芸能。


地面は不浄とされるので、頭屋児は足がつかないよう、肩車されて退場する。


子どもの神様である若宮様のお祭りということで、おん祭は子どもが重要な役目を果たす場面が多い。

 

◆芸能で満たされた空間と時間に身をゆだねる幸福なひととき。お旅所祭 さあ、ここからが本祭りのメインイベントとも言えるお旅所祭(たびしょさい)。 お旅所祭は14時半~22時半頃まで、実に8時間あまり続く。我々は果敢にもすべて見届けるつもりで臨んだ。伝統芸能のフジロックあらため春日8耐。最初から立ち見という選択肢はなく、有料の桟敷席を予約した。


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最初は神楽。春日大社の6人の巫女がしずしずと御假殿(おかりでん)の前へ進み出ると、平安時代から春日大社に伝わるという神楽を舞った。

時折吹く風に巫女の袖がふわりと舞い、雲間から見え隠れする夕日がスポットライトのように巫女を照らす。コントロールされていない光が趣深く、自然との共演だなぁと思う。

面白いことに一曲終わると、タイミングよく風が木々の梢をゆする。その葉ずれの音がなんだか拍手のようだと思ったら、観客席のどこからか「あ、神様、喜んでるね」という声が聞こえた。

偶然の、何気ない自然現象かもしれないが、それが意味を持つものとして捉えられる。そんなふうに感じるスイッチがここでは起動する。お旅所祭の面白さの一つだ。




徐々にあたりに闇が満ち、かがり火に火がともる。猿楽の出演者が若宮様に向かって深々と長いお辞儀をした。神様に自分の芸を捧げる畏れ多さと幸せがあるんだろうな、と思わせられるような、そんなお辞儀。 劇場でも神事でも、演者が真摯に芸に向き合うことには違いないのだろうけど、人間に対してではなく神様に捧げる芸は、どこか祈るような気持ちが詰まっている気がする。それはやはり劇場では見られないもので、私たちはそれをおすそ分けしてもらっているのだなと思う。

最後、猿楽の演者が舞い終え、囃子の音が止んだ刹那、絶妙な間で興福寺の6時の鐘がゴォ~ンと鳴り響いた。奇跡としかいいようのないタイミング。こんな感動も劇場ではちょっと味わえない。



それにプリミティブな芸能はプリミティブな環境でこそ、本来の味わいが出る。それを一番実感したのが舞楽で、自然空間でのびやかに響く雅楽の音色は、頭上の闇を超えて宇宙とつながるような、響きあうような感覚を覚えた。それに乗る舞人のエネルギー。ダイナミックな体の動きは開放的な空間によく映え、大きな袖や長く引きずった装束が風になびいたり、かがり火の炎が作り出す陰影は美しく幻想的であった。鼉太鼓(だだいこ)は地鳴りのような響きを放ち、人間が抗えない自然の力を表すよう。劇場で見るのとは音の響きも、意味合いも、受け止め方も違った。「外で見る舞楽は面白い」というのは発見だった。



【お旅所祭の様子】

「進み歌」とともに御假殿へ進み出る6人の巫女。春日大社の巫女は「みかんこ」と呼ばれる。


二人舞の「神のます」と「千代まで」。「神のます」では神の依代とされる榊を、「千代まで」では鈴を持って舞う。


舞い終えた二人が下がるのと入れ替わるように、白拍子舞の進み歌「鶴の子」に合わせて最上位の巫女である一臈(いちろう)が舞台に進み出る。


一臈だけに許された「松のいはひ」を舞う。春日大社には平安時代から伝わる社伝神楽というものがあり、「松のいはひ」もその一つ。中世の白拍子舞の流れを汲むと言われ、舞譜などはなく、口伝によって伝承されているのだそう。一臈が舞うのはこの1曲のみ。檜扇も特別なものを使用。


続いて六人で舞う「宮人」。テンポのよい華やいだ曲で、採り物(舞うときに手にするもの)も、扇や鈴など次々と変えていく。


前の3曲は長袴(ながばかま)で舞ったが、6人の舞は短い切袴(きりばかま)。


藤原氏にちなんで簪は藤の花。紅白の八重の襟元が美しい。


子ども4人が舞う「東遊(あずまあそび)」。東国の風俗舞と言われている。


「駿河舞(するがまい)」と「求子舞(もとめごまい)」の2曲を舞う。子どもが舞うのはほかに例がなく、ここが唯一。


東遊も神楽や和舞(やまとまい)と並んで日本古来の歌舞。これらは外来の歌舞とは区別する意味で、「国風歌舞(くにぶりのうたまい)」と呼ばれる。


東遊びを舞う子どもたちはこの日のために精進潔斎をする。その間は学校の給食も食べずにお弁当を持参するのだそう。


田楽。お旅所祭では、楽奏の「中門口」、曲芸の「高足」「刀玉」に加えて、「もどき」「開口(かいこう」「立合舞」という短い田楽の能が奉納される。


観覧席からは後ろから見る形になるので、内容はあまりよくわからない。


おん祭は当初、興福寺が主催者的な立場を担っていた。「開口」は、興福寺の法会の開口を模して芸能化したものと言われている。


細男(せいのお)。顔に白い布をつけて舞う。この舞はおん祭にしか残っていないものだそうで、非常に古い形を現在にまでとどめている。


細男の由来には諸説あり、神功皇后の故事にちなむとされているものが有力。


白い浄衣がかがり火に照らされて浮かび上がる。6人の舞人のうち、2人が小鼓を腰前に下げ、2人は笛を吹く。


進んでは退き、退いては進む、を繰り返す素朴な芸能。かつては詞章もあったと言われているが、現在はない。


猿楽の「神楽式」。神楽式は「翁」を簡略化したもので、おん祭特別バージョンのようなもの。千歳(せんざい)は登場せず、翁と三番三(さんばそう)のみ。通常は3丁出る小鼓も1丁となる。


翁の舞。翁も三番三も白い装束をまとい、面はかけない。


五穀豊穣を願う三番三の「鈴の段」(「揉の段」は省かれる)。


舞楽。最初は「振鉾三節(えんぶさんせつ)」。舞楽には中国やインドシナ方面から伝わった左舞と、朝鮮地方から伝わった右舞がある。赤系統の装束が左舞、緑や青系統の装束が右舞。振鉾三節は両方の舞人が順次出て、最後は一緒に鉾を振り合わせる。


「萬歳楽(まんざいらく)」(左舞)。荘厳で気品の高い曲。


「延喜楽(えんぎらく)」(右舞)。舞楽は左舞と右舞を1対として舞われる。「延喜楽」は萬歳楽と一対で、慶賀の際に必ず舞われる曲。


鼉太鼓(だだいこ)も左右一対で、左舞のときは左を、右舞のときは右を打つ。神様から見て左にあたる三つ巴の膜面のほうが左方で、二つ巴のほうが右方。


龍の飾りがあるのは左方の鼉太鼓(だだいこ)。陰陽でいうところの陽を表す。雅楽は陰陽思想と結びついて発展してきた。


「賀殿(かてん)」(左舞)。変化のある動きの早い四人舞。


雅楽を奏する南都楽所(なんとがくそ)。仏教とともに伝わった音楽や舞は、社寺の法要や祭祀に欠かせないものとして伝承されてきた。


「長保楽(ちょうぼうらく)」(右舞)。「地久(ちきゅう)」という曲と交互で隔年で舞われる。


和舞(やまとまい)の舞人が登場。鼉太鼓の前に和舞の地方が並ぶ。舞楽はもともと古代朝鮮や中国大陸から伝わった外来の歌舞だが、和舞は日本古来の歌舞。


和舞の地方。楽器は和琴(わごん)、笏拍子(しゃくびょうし)、神楽笛、篳篥(ひちりき)の4種。笏拍子は歌も歌う。琴を両側から持つ琴持2名と、歌の補助をする付歌(つけうた)の7人編成。


和舞の「神主舞(かんぬしまい)」は二人で舞う。


笏拍子と和琴。独特な音色が真冬の夜に響く。


四人舞の諸司舞(しょしまい)。4人の動きがぴたりと合う。


手にした榊は神の依代。


すーっと流れるようであり、どっしりと重みも感じさせる動きが印象的。


序盤は榊の枝を手にして舞い、途中、それを背中に差して今度は檜扇を持って舞う。所作はとてもゆっくりで旋回運動や沈み込む動きが多く、現在の日本舞踊、特に地唄舞に通じるところがある。


再び舞楽で「納曽利(なそり)」(右舞)。一人または二人で舞う。


こぶしを高く突き上げる。


竜の舞い遊ぶ様子を表現した曲。

 

いまこの時だけは一切のものを俗世に置いて、芸能で満たされた空間と時間に身をゆだねる。不思議で幸福なひととき。一言でいえばそれがお旅所祭だった。 そしてすべての芸能が奉納された午後11時頃、還幸の儀が執り行われ、若宮様はお迎えした時と同じように松明の炎に導かれて参道を上って行った。 杉の葉の香りとかすかな沈香の香りを残して―――。


一夜明けた3日目、お旅所では後宴能(ごえんのう)が開催された。後宴能は、若宮様が無事還られ、今度は人間が慰労を兼ねて楽しむためのもの。いわゆる「打ち上げ」だ。前日まで芸能はすべて神様に捧げられていたので、我々は舞台を後ろから見ている格好だっていたが、後宴能は人間が楽しむためのものなので正面が観客側になる。

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能楽堂で見る能はしーんと張りつめた濃密な雰囲気が漂うが、ここの能は和やかで気軽な雰囲気。敷居の高さも感じない。「この後宴能を楽しみに毎年来ているのよ」というご婦人もいた。


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さて、ここまで読んでいただいて、「がぜんおん祭に興味が沸いた!」という方のために、おん祭に出かける際の実用情報をまとめてみました。 おん祭攻略マップから、各行事のポイント、必須の持ち物まで、我らが足で稼いだお役立ち情報が満載。 「おん祭、ちょっと行ってみたいかも」と思った方は要チェックです! 春日若宮おん祭〈実用情報編〉

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